夫婦であっても、束縛は出来ないよ

結婚式にてキリスト教式をされた方は特にですが

だれもが一度は聞いたことがあるでしょう

 

何があっても、命の限り支え合う事を誓いますか?と・・・

聖書の中には

「神が結ばれたものを人が離してはなりません」

そのような言葉も出てくるくらい

・・・ならば、神様なら、二人を離してよいのか

って、いつも突っ込みを心の中で入れていたわたしです

 

この肉体ありきでの契約がいわゆる結婚とするならば

霊的な視点で見ると、結婚とはどういったものかな

と考える機会がありました

 

結婚とは二人が1つになるというものではありません

今までの生活とは別の新たな個人的レベルでの学びの場です

だから第二の人生の始まりです

共に勉強するパートナーでしかありません

同じ価値観にすることでもなく

違うもの同士が生活を共にすることにより協力を学び

新たな社会を作ること

そこにたくさんの無償の愛を見つけるわけです

 

束縛とはコントロールすること

自分のエゴを相手に押し付ける行為

あなたの想い(エゴ)を伝えるのは間違いではありません

ただ、相手がそれを叶えるかどうかは関係ありません

あなたの説明不足ではなく、相手がどう思うか、相手の価値観次第

 

そのコントロールを諦めた時に

善き方向に、運命が回り始めます

あなたの願いも叶い始めます

 

経験上

主人の願いは

わたしへの執着を諦めたときに叶いました

そして、本人の収入もアップし、会社での地位も上がる

生活レベルもお金も互いへの愛も

純化するとともに、増していく

そこには互いを尊敬し、感謝し、自由を与えるということがありました

お互いが向き合った結果です

 

自分のエゴと向き合っただけでなく

違いを受け入れた瞬間

「そういうこともあるよね」「そんな考えがあるんだ」

そこにはただ、信頼関係があるだけです

 

もしもあなたのパートナーが

自分以外の人に惹かれるのを感じたとします

そのようなときは

焦りはいらない、ただ、自分の立場を考えてください

今の自分が出来ることを考えてください

その相手に嫉妬するわけでもなく

その相手には、自分の持たない魅力があり、だから惹かれている

あなたと同じであれば惹かれてもいないはず

あなたが勝負するのは相手ではなく、あなた自身の心です、行動です

あなたが出来ることで、勝負する、最善をつくす

その行動がない限り、願いも祈りも届くはずはない

 

人は変わるもの、人の気持ちもいつまでも同じではありません

たとえ夫婦であっても

さらに愛が増すなんてことは、普通に可能なのです

逆に自分が変わらないから、飽きられるという可能性もある訳です

人間、楽しいや嬉しいの感情を求めるのは当然

そんな刺激を提供する、その努力が必要だなと思います

 

夫婦になるくらいの関係であれば

運命の相手ではあるのです

それをその運命を、他人が入ってきたことにより終わるのであれば

また課題を作り、来世へ持ち越しです

 

本当に別れる必要があるときには、神の意志や手が入るでしょう

どんな夫婦にも、お試しは入ります

お試しに引っかからないよう

あなたの学びを深めていっていただきたいものです

 

今世あなたに天地宇宙の学んで欲しいことは

愛だけです

感謝、信頼、思いやりです

家族であっても他人

血がつながっていても、あなたではない他の人間

 

それを理解したときに

本物の無償の愛、真実の愛が見えてきます